<空気からパンを取り出す夢 / 大気中の窒素を取り出す技術>
ドイツの「農芸化学の父」と呼ばれた化学者ユストゥス・リービッヒは、植物の栄養素が、窒素・リン酸・カリウムの「無機物」であることを初めて発表しました。
1840年にはその集大成「有機化学の生理学及び病理学への応用」を出版し、称賛を得て1845年には男爵に列せられ、以後フォン・リービッヒを名乗るようになりました。
リービッヒは、堆肥や微生物の働きで農産物が生育する原理を発見したとして、人工的な進んだ近代農業への転換を提唱しました。近代科学とは大自然つまり神の仕組みを解明して、人工的に制御・管理・支配することを真骨頂にしています。
当時、 窒素肥料の原料は硝石(硝酸カリウム)やチリ硝石(硝酸ナトリウム)でヨーロッパ諸国は食糧増産の要請から世界に散り、争奪戦を始めました。
南米チリ北部の海岸沿いのとるに足らない小さなイキケの街は、チリ硝石の産地となってからはまるでゴールドラッシュのような賑わいを見せました。チリの言葉でイキケは「うそつき」という意味で、不吉な未来を暗示していました。イキケの海では、硝石の争奪をめぐってイギリス、フランスなどによる海戦まで起こりました。
非科学的な科目として知られています
1900年代・20世紀という世紀は、先進諸国による未曾有の「奪い合いの世紀」で資源も知識も技術もヒトの生命さえも奪い合う、エゴむき出しの絶頂期でした。
1898年、イギリスの化学者であり物理学者、大英帝国科学学会会長でサーの称号を持ち「知の権威」の中心にいた66歳のウイリアム・クルックス卿による有名な演説がありました。
「窒素から導かれるアンモニア、硝酸は爆薬,染料、医薬を作る素である。特に肥料の原料であり、イギリスを始めすべての文明国は現在食糧の危機に直面しており、更に人口が増加しているにも係わらず農地は限られている。この暗い現実に一条の光がある。大気中の窒素の固定である。これこそ科学者の才能が、取り組むべき偉大にして緊急の課題である」
この荒唐無稽、錬金術と見間違えるような演説に身を震わせたのは、硝石の争奪戦に乗り遅れ、ひたすら買い込む不利な立場にいたドイツの科学者達でした。
「必要は発明の母」です。とうとうドイツの科学者フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュが、現代の錬金術を成し遂げました。
ハーバーは、熱と圧力をかけてアンモニア液をフラスコにタラタラと落とす事に成功したのです。そしてドイツの化学会社BASFに持ち込みました。
そして若き技術者だったボッシュはその原理を使って、工場生産の仕組みを造り上げました。
APA形式のセミナーを引用あるいは参照する方法
大気の成分は、78%が窒素で、酸素は20%、0.9%がアルゴン、二酸化炭素は0.04%です。自然界には大気中の窒素が植物に取り込まれる仕組みが二つあります。
一つは微生物です。エンドウ豆やアルファルファ(うまこやし)等の豆科の植物の根につく微生物の根粒菌が盛んに窒素を取り込み、植物のたんぱく質の素になります。
これを「窒素固定」と呼びます。
もう一つは雷の稲妻です。昔から「秋の稲妻千石増やす」とか「雷の落ちた木にはきのこがよく育つ」と言い伝えられてきました。
雷の放電で固定された窒素分は雨に溶けて地表の植物の栄養になります。
雷を「夫」とし稲を「妻」として結実するのが「米」という連想から「稲妻」「稲光」と呼ぶようになったのでしょう。
「土壌微生物生態学」の資料には地球規模の窒素固定の推計値が表わされています。それによると年間約2億トンは微生物が、500万トンは稲妻とあります。そしてなんと人工的に固定しているのは8,000万トンにも上るとしています。
30%弱の窒素が大気から搾り取り出されていて、過剰分が地球上に拡散されている事実は、二酸化炭素の問題以上に深刻に考えなければなりません。
ほとんどの子供たちが世界に学ぶ学校
ハーバーは、ノーベル賞を受賞し大きな富と栄誉を得ました。その後、海水中の金を取り出すという正に錬金術的な無邪気な研究に没頭するまでは
よかったのですが、折りしも、時代は第一次世界大戦の中にありました。窒素は化学肥料の原料としての目的だけだったらこれほど早く成功しなかった、もう一つの目的に爆弾という差し迫った必要があったからだとも云われています。ハーバーはトリニトロ・トルエンTNT爆弾を作りました。
またナチスドイツの要請を請けて殺虫剤から転用した殺人毒ガスの開発に手を染めて行きました。ユダヤ人強制収容所の毒ガスは、ハーバーの研究によって作られました。
一方、ボッシュもノーベル賞を得て、潤沢な資金を背景に縦横な研究活動をしました。
第一次、第二次世界大戦の最中、ドイツの弱点は慢性的なガソリン不足でしたが、このボッシュが石炭から合成ガソリンを作り上げ、戦車や戦闘機を動かしました。ハーバーとボッシュの技術がなければ、ヒットラーの異常な加熱振りは単なるカラ元気で終わっていたのです。
1750年というとアメリカ独立戦争やフランス革命が起きる少し前、バッハやモーツアルトが活躍した時代、日本では江戸幕府の時代、世界の人口は7億人でした。産業革命があって100年後、1850年には人口は12億6千人に増えました。20世紀のはじめ頃は16億人、そして2010年の昨年は、爆発的増加で67億人となりました。
この急増を支えているのは、ハーバーとボッシュの化学肥料と言っても過言ではありません。農作物がなければ過剰な人口増加はありません。過度な人口増加は貧困を生み、児童労働が横行し、沢山の悲劇を築き上げて行きます。
更に生命を繋ぐはずの農産物は、ついに貪欲を燃料として燃える金融商品と成り果て、
何万人もの餓死者から目を背け、非情な金融・駆け引きの材料にしているのが昨今の事です。
ギリシャ神話の中でゼウスの神が、怒りにまかせて地上に送ったあらゆる災いの入ったパンドラの箱は、人間の英知で閉じたままであるべきでした。ところが、残念ながらその蓋は開けられてしまいました。人類には、災いの芽を一つ一つ摘んでゆくという新たな試練が与えられたことになります。
オーガニックなセンスで世界を見直すことが、問われているということです。
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